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2017.05.19 Friday
大阪センチメンタルジャーニー:KUSHITANI名東店

3月の終わりごろにフラリと一人旅に出かけました。

 

3〜4月はどうしても新製品情報が先行してしまいますのでなかなかこういう個人的な記事を差し挟む余裕がなかったんですけど、ようやくちょっと落ち着きましたのでこの機会に書かせてもらいますね。

 

 

このお休みの前の日くらいだったと思うんですけど、なんとなく心の平静を保つのが難しい出来事がありまして(笑)、お休みの日にいつものように映画観て一杯飲んで・・・っていうルーティンをするのがちょっと苦痛だったんでしょう。

 

フラッとどこか遠いところへ出かけたくなりました。

(日頃スーパー呑気な僕でもそういうことはあるんですよ!)

 

さて・・どこへ行こうかなぁ??

山あいの温泉とかも考えたんですけど、なんせ早起きが苦手ですのでw時刻はすでに昼近く、どこへ行くにも中途半端な時間になってしまっています。

 

名駅でしばし迷ったあげく、エイヤッ!っと大阪なんば行きの近鉄線に乗り込みました。

 

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衝動的に学生時代を過ごした大阪の街を訪ねてみたくなったのです。

 

大学卒業後僕はほどなく四国に赴任しましたので、大阪に住んでいたのはほぼ学生時代の4年間だけなんですけど、やはり青春期を過ごした街というのは特別な思い入れがあります。

 

なんばに着くと、まずは環状線で玉造駅へと向かいました。

 

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僕の大学は南河内にありましたので大阪市内は基本的にテリトリー外なのですが、僕は大学生活の前半期は主にこの環状線の東側エリアで過ごす時間が長かったんですね。

 

寺田町、桃谷、玉造、鶴橋、森ノ宮辺りです。

 

正直その頃の生活というのはほとんど地べたを這いずりまわるような日々でした。

自分から飛び込んだ道とは言え、その肉体的・精神的な負荷は「若かったから出来た」という凡庸な結論でか集約しようのないものでした。

 

多少はそこに思想性のようなものの後押しがあったことは間違いのないことなんでしょうけど、もう30年前のことですので僕がその頃どのような心持ちだったのかもう想像の範疇でしかありません。

 

そしてその頃、大阪環状線の東エリア・・特にこの玉造周辺というのは、街工場が林立する灰色の街でした。

 

その頃の僕の心象風景とシンクロするだけなのかもしれませんが、僕はこの玉造という街はいつも曇天だったような気さえしています。

 

そんな労働者の街にふさわしく、安い居酒屋も幾つかありました。

僕らがその頃よく行っていたのは、そんな安い居酒屋群の中でも最底辺の店でした。

 

コンクリート剥き出しの床に、ガタガタと安定しないスチールのテーブルと椅子。

ビールなどはほとんど市価よりも安く、飲んで、食べて、ああそろそろいい気分でお腹いっぱいになったな・・と思っても一人当たりの会計は¥1000をちょっと超えるくらいでした。

 

ただし「ソーセージ」と頼むと、ビニールを剥いた魚肉ソーセージがコロンと皿に乗せられて出てくるような「料理」ではありましたが・・・

 

そんな店で飲んで、仲間といい気分で夜風に吹かれながら、ほとんど共同生活をしていたアパートの一室に帰ったものです。

 

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しかしそんなくすんだ街並みも、30年という年月を経て全てを変貌させてしまっていました。

 

街工場や問屋だらけだった通りもそれなりに洗練された商店へと姿を変えています。

 

ちょっと裏に入ったくらいで多少当時の片鱗を窺わせる雰囲気が残ってはいましたが。

 

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玉造から谷町6丁目まで歩き、地下鉄で天王寺まで移動します。

 

天王寺も大きく変貌していました。

あべのハルカスのようなものがこの街に出来るなんて、あの頃は全く想像できませんでしたから。

 

しかし歩道橋の上で、駆け出しのお笑い芸人がこんなパフォーマンスをしているのはやはり大阪というべきでしょう。

 

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そして通行人がかなりの確率で足を止め、それに見入っているのも大阪ならではなんでしょうね。

名古屋でやっても恐らく遠巻きに見るだけの人が多いんでしょうけど、大阪の人はこういうものを「面白がる」のと同時に「シビアに判定」もしているのです。

 

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さて。

ここからは当時毎日のように乗っていた路線に乗り換えます。

 

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物凄く久し振り(多分30年近い)ですのでちょっとドキドキしました。

 

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近鉄南大阪線です。

 

関東から引っ越してきたばかりの19歳の少年にとって、天王寺から河内松原までの区間の、軒の低い小さな一軒家が延々と所狭しと立ち並ぶ景色はほとんど外国のように映ったものでした。

 

河内松原、藤井寺、土師ノ里・・・

あまりに懐かしい駅名を通り過ぎて下車したのはここ。

 

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天王寺から約30分。

道明寺駅です。

 

僕はこの駅から歩いて5分ほどのアパートに暮らしていましたので、どこかへ出かける時は必ずこの駅を利用しました。

クシタニに入社してもしばらくはそのアパートに住んでいましたので、僕は箕面のクシタニ大阪本社まで毎朝1時間半かけて出勤したものです。

 

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やはり郊外だけあって、この道明寺周辺の空気感は大阪市内ほどの変貌は遂げていませんでした。

 

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一軒一軒の店を明確に憶えているわけではないのですが、その佇まいからして僕がここに住んでいた頃から存在していたのでしょう。

 

商店街も割と当時のままでした。

 

 

学生寮を引き上げてこの街に引っ越してきた時に、この商店街には日常のあれこれを買い物に行ったものですが、その中でもとりわけ足しげく通っていた雑貨屋さんが通りの右側にありました。

 

田舎の商店街の中の店ですし、大阪の下町ですからそのお店のお兄さんともすぐに顔見知りになりました。

 

ある日僕がフライパンの蓋を買いに、その店に行った時のことです。

僕はその時ガールフレンドと一緒でした。

 

お店のお兄さんは僕が以前買ったフライパンの寸法を憶えていて「兄ちゃんのフライパンは20cmやでコレやなぁ」と蓋を出してくれたあと、急に気が付いたかのように僕と女の子を交互に見比べこう聞いてきました。

 

 「なんや??兄ちゃん結婚したいんかいな??」

 

帰りの道すがら、女の子は僕の腕を取りながら「私・・・ 人間の顔があんなにみるみる赤くなるの初めて見た!」と本当に可笑しそうに笑いました。

 

そんな僕のちょっと甘酸っぱい思い出の欠片がまだその辺りに転がってそうなくらいここは昔の雰囲気そのままです。

 

ここから歩いて3分程で僕が昔住んでいたアパートがあります。

 

やはり何十年経とうと住んでいた家への道というのはちゃんと覚えてるものですね(当たり前かw)。

 

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しかし僕の住んでいたアパートは取り壊され、綺麗な家に建て替えられていました。

 

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これはもう以前にグーグルストリートビューで知ってたんですけど、いざ目の前にするとちょっと寂しいですね。

 

ただし僕の住んでいたアパートは、駅徒歩5分で、六畳・四畳半の二間、風呂・トイレ付で¥28,000という家賃でして、当時としても格安なうえ、当時としても相当古ぼけたアパートでしたのでもう仕方がないことです。

 

そんな安マンションですので住人もちょっとワケあり風で、一階には背中一面に絵の入ったオジサンがその絵を隠そうともせずに毎日毎日せっせとアパートの外で木の涅槃像を彫っていたりしたのですが、またその住人模様については機会があれば語ります。

 

僕はこのアパートのカギを亡くした時にこのオジサンに相談したことがあったのですが(その時他に人がいなかったww)、オジサンは「カギなんかなくても大丈夫やで・・兄ちゃんキャッシュカードか何か持ってるか?」と僕からカードを受け取ると、それをチョイチョイっとドアの隙間に挟んでいとも簡単に僕の施錠した部屋の鍵を開錠してみせたものでした。

 

僕はその時「こりゃ便利だ!」と感動して、もう鍵を失くしたことも忘れてしまったのですが今考えると恐ろしい話ですねww

 

 

幸いなことに(?)僕が住んでいたアパート以外の周辺建物は当時のままでした。

 

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そして大阪の下町には、こういう「民家の軒先で営業してるたこ焼き屋」というものが普通に点在しています。

 

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「こういうところはさぞかし美味しいんでしょうねー」とよく聞かれますが、実は食べたことないんで分かりません(笑)

 

駅前にまた戻って、駅とは反対側の川原に行ってみました。

 

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当時「日本一汚い」と言われた(実際数値的にも日本一の汚濁でした)石川の川原です。

 

よく授業をサボってここの川原で寝転がっていたものです。

川原の草むらに寝転がって右を見上がれば今は無い玉手山遊園地の小さな観覧車が見えました。

 

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昔はこの川原に勝手にジャンプ台作ってDT50走らせたりしたものですが、今はそんなこととても出来ません。

 

この川を渡った向こうに村上さんというとても可愛い女の子が住んでいまして、僕らはよくその子の家に遊びに行って、時にはそのまま男女数人で雑魚寝をしたものです。

 

男女雑魚寝は芸大生の愛すべき伝統でした。

 

もちろん僕は村上さんに指一本触れませんでしたけど、それも芸大生の伝統だったかどうか?・・までは分かりませんww

 

しかし村上さんのアパートの場所はどーしても思い出せませんでした。

 

もう一度駅前まで戻ると、驚くべきことに僕が就職のことで父親と大喧嘩した電話ボックスが残っていました。

 

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その時の顛末につきましては以前に書いたここをご参照ください。

 

ともあれここの受話器には僕の爪が喰い込んだ痕が残ってるはずです。

 

 

ここから歩いて一駅移動します。

 

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道明寺駅より一駅天王寺寄りの土師ノ里駅です。

 

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時系列的には逆になるんですけど、僕が大学に入って入居した学生寮がこの駅の近くだったのです。

 

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学生寮があった場所までプラプラ歩いてみましたが、やはりここも「変わったところ」と「変わってないところ」が混在していました。

 

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そして学生寮は保育園に変わっていました・・・・

 

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この学生寮は、僕の通っていた大阪芸大だけではなく、近隣の大学や専門学校の学生さんとの共同の寮だったのですが、男50人ばかりが暮らす環境はカオスそのものでした(笑)

 

当時部屋に固定電話を引いてるヤツなんて皆無でしたので(電話の権利高かったしね)、共同の赤電話二台が全ての寮生の連絡先になっていたのですが、悪いことに僕の部屋はこの電話から一番近く、なんとはなしに電話が鳴ると取り次ぐ役割になってしまっていました。

 

しかしもうこれが面倒くさいことこの上ありません。

 

特に女の子からの「〇〇クンいますか?」なんて電話で起こされた時にはもう腹立ちも手伝ってか、ろくに調べもせずに「〇〇クン外出してます」とか言って切っちゃったことは1度や2度ではありませんでしたwww

 

あの頃、遠距離恋愛で上手くいかなくなった寮生がいたとしましたらその0.0001%くらいは僕のせいですww

 

さて。思い出を巡る旅もそろそろ終盤です。

 

このまま帰るのも忍びありませんので、まだ大阪に住んでいる昔の友達を急遽呼び出しました。

 

梅田で待ち合わせて一杯付き合ってもらいます。

 

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彼は、僕が大阪環状線東エリアで地べたを這いずりまわってる時に、一緒に這いずりまわった仲間です。

 

いや・・彼とは大阪だけでなく、京都、東京、成田と、どこへ行くにもほぼ行動を共にしていた時期がありました。

 

2年足らずでバックレた僕と違い、彼は長くその世界に残り続けましたので、彼の舐めた辛酸はは恐らく一般の学生や社会人には想像の及ばないところだと思います。

 

正直当時は確執もありました。

ほとんど殴り合い寸前・・みたいなことも何度かありました。

 

それでもこうやって突然の呼び出しにも快く応じてくれた友情に感謝です。本当に感謝しかありません。

 

Yクンよ。

こうやって50を過ぎて、二人で酒を酌み交わすなんて想像もしなかったよなぁ??

 

世界はあの頃の想像とはかけ離れたところにあるようで、その実あの頃イメージした通り(その悪い発露として)進んでいるようにも見えるよ。

 

当時の我々は何を成し得たんだろうね?

多分もうとっくに時代遅れだったんだろうな。

 

いや・・・時代遅れというものにも何がしかの必然があったとしたならば、反帝もスタ克も世界プロ独も、あの80年代だからこそ刻んだものがあるのかもしれないな。

 

でもYクンはちゃんと若い人たちにバトンを渡してるもんな。そこは心底尊敬しているよ。

 

まぁそれはともかくだよ。

 

オレ達頑張ったよな?なぁ?あんな報われない日々だったけどオレ達は頑張ったんだと思うよ。

速攻で逃げ出したオレが言うのもなんだけどね・・・・

 

ただ一番アテが外れたのは、オレ達が50過ぎる時にはもう日本は共産主義国になってるはずだったんだけどな(笑)

 

そんなこんなでほろ酔いになり、もう名古屋帰還にはタイムリミットギリギリです。

Yクンに見送られて急いで新幹線に乗り込みました。

 

 

さて。

こんなごく個人的な旅日記にお付き合いありがとうございます。

完全に僕の個人史を巡る旅でしたので、尚更心苦しくも思います。

 

本当に思いつきの旅でした。

 

たった半日程度の小さな旅でした。

 

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果たしてこの旅に意味があったのかどうか僕には分かりません。

 

昔の思い出を巡ったところで、現実の憂鬱が解決するわけもないのです。

 

残酷ですが人は「今」を生きていかなくてはなりません。

 

ふと気が付くと、日々の暮らしがまるで海の底にいるような気持ちになることも時としてあります。

 

しかしそんな僕にも「確かに青春と呼ばれる季節があった」ということを確認することは、僕の足を少しだけでも前に進めることが出来るんじゃないか?とも思ったりもするのです。

 

 

 おわり

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