うどんの国の青春編 その3:KUSHITANI名東店

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    高松店に赴任して、二日目の朝から僕は基本的に一人っきりになりました。

    前任のK店長は、元々の高松店オーナーさんが経営する他店舗への転勤と、それに伴う引越しが決まっていたためそれなりに忙しく、そちらの準備に集中するために基本的にはもうお店には出てこられませんでした。

    それにこの小さなお店の引継ぎ業務は、初日の半日もあれば時間的には充分だったのです。

    何か分からないことがあればその都度電話する・・・ということでK店長の間では合意が出来ていました。

    その二日目の朝。
    いよいよ「自分の店舗」としての初日です。

    僕は張り切って開店1時間半前にはお店に入って掃除を始めました。
    棚という棚を雑巾がけし、商品にハタキをかけ、床を掃除してガラスを磨き・・・・

    開店は10時からだったのですが、掃除に集中していたら午前中はあっという間に終わってしまいました。

    もちろんその間お客さんは一人も来ません。

    昼食は、高松店と道路一つ挟んだ向いにある喫茶店からランチを運んでもらうように前日に頼んでいました。

    電話で持ってきてもらうように頼むと、15分後くらいに喫茶店のお兄ちゃんが目の前の歩道橋をお盆を持って歩いて来るのが見えます。
    その後僕はほとんど毎日ここの喫茶店のランチのお世話になりましたので、このお兄ちゃんが「高松に来て最初の顔見知りの人」になりました。

    しかし昼ごはんの間も、そのあとの時間も、お客さんはサッパリやってきません・・・・

    午後もそんな調子で、結局この日は実質赴任初日にして「ボウズ」という記念すべき日となってしまいました。
    当時は毎日の業務日報を本社に送信しなくてはいけませんでしたので、さすがに初っ端からボウズというのは気まずく、自分でキーホルダーか何かを買った気がします(いちいちボウズの度に自分でモノを買ってたらキリがありませんのでその後そういうことはやめましたがww)。

    8時に店を閉めると、また僕は目の前の喫茶店で晩飯を済ませ、二階の寝床へと帰りました。

    二日目の晩には、前日あれほど気になった国道の車の音も全く気にならずにグッスリと眠りにつきました。
    人間は環境にあっという間に順応しちゃうんだな・・・と妙に感心したものです。

    しかし前にも書きましたよう、この高松店のある場所は、交通量だけは多いが周囲に飲食店もスーパーもない立地環境でして、昼飯のルートだけはなんとか確保したものの、それ以外の日常生活は不便この上ない場所でした。

    一番近いコンビニもはるか1,5キロほど先です。

    そんなわけで、赴任して最初の休日に、僕はとりあえず街に出て自転車を一台買いました。
    なんていうことのないママチャリですが、これで行動半径がグッと広がりました。

    自転車ならば、ちょっと離れたところにある酒屋さん、コンビニ、本屋さん、讃岐うどんのチェーン店などが自分のテリトリー内に入ります。

    え?
    車やバイクは持っていかなかったのかって??

    えー・・・っと・・この話しを続ける上で避けて通れない話しなのでここでしてしまいますと、僕はその当事免許証を剥奪されておりまして、動力付きのものは何一つ運転できない環境にありました。
    免許証を失ったのは全くもって自分の不注意と無思慮の結果としか言いようがなく、あまりに自分でも恥ずべき過去ですので、この件はサラリとここで終わらせてもらいますし、今後ともあんまり深く追求しないよう切にお願いいたしますwww

    ただ、この土地勘のない街で、知り合いも一人もいない郊外の住処で過ごした日々を振り返る時、「バイクに乗れない」という事実は、僕のここでの生活をかなりの部分マイナス方向へ規定しました。
    それは物理的な意味合いにおいても、精神的な意味合いにおいてもです。

    恐らくあの頃の僕にバイクがあったのなら、僕のこの高松ライフはかなり違ったものになったでしょうし、24年後に思い出した時の印象もかなり異なったものになっていたはずです。

    さて、高松店に赴任してちょうど一週間ほど経った時です。

    ふらりとK店長がお店にやってきました。

    「藤森クン今日の晩空いてるか?」とK店長は聞いてきました。

    もとより僕がこの土地で、勤務時間外に予定なんかあろうはずがありません。

    「いえ。大丈夫ですけど」と僕が答えると、「今日な。この店の常連さんがオレの送別会開いてくれるんだそうだ。キミの歓迎会も兼ねてるからおいで」と誘ってくれました。

    「ええぜひ!」と僕は社交辞令でなく弾んだ声で答えました。

    新しい土地で、新しい人間関係が始まるというのはやはり心弾むことです。

    まだこのお店にはあまり常連さんが顔を出されていませんでしたので、僕はまだ見ぬ常連さん達に会えるのを楽しみにしておりました。
    夜、お店を閉めると、僕は高松の中心街にある「ライオン通り」へと出かけ、教えてもらった飲み屋さんへと急ぎました。

    お店は貸し切りらしく、すでに20人ほどの人数で酒宴が始まっているようです。
    僕はその人々の中にK店長の姿を見つけると、「遅くなってすいませんでした」と足早に近づきました。

    K店長は手を挙げると、周囲にいる常連さん達と思しき人たちに「これが新しい店長。藤森クンね」と僕を紹介してくれました。

    僕は「よろしくお願いしまーーっす!」と元気よく挨拶したのですが、どうも皆さんの反応が芳しくありません。

    「ああ・・そう。へぇ」くらいな感じです。

    僕はちょっと出鼻を挫かれた感じを覚えつつも「よろしくお願いします」と繰り返しました。

    その後K店長は、挨拶する人ごとに僕を紹介してくれたのですが、多少の程度こそあれ常連さん達の反応は概ね冷めたものでした。

    とりわけ、色黒で長身の、チョビヒゲを生やしたよく似た二人組み(後に兄弟だと知った)が、僕への敵意にも似た表情を隠そうとしませんでした。

    K店長はちょっと困ったような表情を浮かべながらも、会場の人々に挨拶をして回りました。

    宴も終盤になり、仕切り役の常連さんの一人が「じゃあそろそろ店長に挨拶をしてもらおうか」とK店長に水を向けます。何と言っても今日の主役はK店長です。

    K店長は大変に常連さんにも慕われていた店長さんらしく、店長さんの挨拶とそれを聞く常連さん達の間の空気はとても暖かいものでしたし、常連さん達がK店長の転勤を本当に名残惜しく思っている様子が伝わってきました。

    K店長は最期に「じゃあ僕の後に高松店の店長になる藤森クンにも一言お願いしようかな」と僕にマイクを渡しました。

    僕は会場の空気が微妙に変化するのを感じながらも「何にも知らない若輩者ですが、今後ともよろしくお願いします」と手短に挨拶を終えます。

    パラ・・・パラ・・とまばらな拍手・・・

    さすがにバカで鈍感で空気の読めない僕も、ここに至っては気が付かざるを得ませんでした。

     もしかして・・・オレ・・全然歓迎されてない??


    今考えてみれば(いや・・ちょっと聡い人間ならばとっくに気づくことなんでしょうが)この常連さん達の反応はしごく当たり前のことでした。

    K店長はその時点で高松店の勤務7〜8年くらいになっていたはずですが、お店の店長として信頼されていただけでなく、休日には常連さん達と一緒にトライアルを楽しむライダー仲間でもあったのです。
    当然そのお付き合いはオートバイという媒介を経なくても親密なものだったことでしょう。

    その愛すべき店長が会社の都合でどこか他所の店へ転勤してしまうわけです。
    自分達の目の前からいなくなってしまうのです。

    FC店の常連さんというのは、直営店の常連さんとは微妙に「対本社」への距離感が異なります。
    何かコトが起こればやはりそこは「FC店視点」で事態を解釈します。

    「高松店の直営化」という事態の本質を、常連さん達がどの程度ニュートラルに理解してくれていたのか今となっては分かりようもありませんが、とにもかくにも彼らの愛するK店長は不本意ながらも高松店を去り、代わりにやってきたのが僕だったと。こういうわけです。

     「本社から派遣されてきた若いヤツ」
     ~~~~~~~~~~~~~~

     「大学出たての、クシタニのことなんか何にも知らないヤツ」

     「高松には何の縁もゆかりもない都会出身のよそ者」

    それが彼らから見た僕の「立ち位置」でした。

    もう少年漫画なら絵に描いたような「いけ好かない敵役」です。

    気に入らないのはもうどうしようもありません、

    もし僕が彼らの立場でも、同じように新任店長には冷ややかな感情を抱いたことでしょう。

    その晩、二次会などが開催されたのかはもはや定かではありませんが、僕は送別会が終わると一人タクシーに乗って郊外の住家へと帰っていきました。
    そしてその時僕がどのような感情を抱いたのかも、今となってはよく思い出せません。

    とにもかくにもそれが僕と高松店常連さんとの「ファーストコンタクト」であり、それがお互いにとって決して幸せな出会いとは言い切れなかったことだけは確かなことなのでありました。


    うどんの国の青春編 その2:KUSHITANI名東店

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      高松店行きの内示を受けてから、実際に赴任するまでには一週間程度の猶予はもらったと思います。

      そして、その間は会社の各部署の先輩が講師代わりとなって僕に対する「詰め込み講座」が朝から晩まで行われました。

      接客技術はまぁ日々慣れるしかありませんので、もっと実務的な、例えばサイズ直しの際の詰め幅や伸ばし幅の割り出し方、オーダー採寸のやり方、業務日報のつけ方、複式簿記方式による振替伝票の起し方などなど、店舗を運営する上で最低限の必要不可欠な知識を教えこまれたわけです。

      なにしろド新人ですから、僕の名目上の役職は「店長代理」なわけですが、実質店舗にいるのは僕一人になりますので、実際の業務は店長と変わりません。

      しかし、講義を重ねるうちに焦燥感にかられていったのはむしろ講師役の諸先輩方でした。
      彼ら(彼女ら)は、僕のあまりの無知ぶりと、あまりの物覚えの悪さに呆れ返り、最後に必ずこう言いました。

       「なぁ・・・お前・・・・本当に・・・大丈夫か・・??」

      そして、心配を通り越した焦りを彼らが隠そうとしなければしない程、むしろ僕は開き直りとも言うべき落ち着きを身につけていったのです。

      だって考えてもごらんなさいよ。

      こんな右も左も分からない新人に(潰れかけの)店舗を任せようと考えたのは会社なわけです。
      僕の希望ではなくあくまでも会社の判断です。

      だったらです。

       「その店潰れちゃってもオレのせいじゃないんじゃね??会社の責任だろそれ?」

      僕はこう思うようにして開き直りました。
      どうあがいたってなるようにしかならないのです。

      でも案外これは精神的に効きました。

      皆さんも仕事やプライベートで、何か自分の実力以上のことを他人から求められた時はぜひこの「(失敗しても)オレのせいじゃないパワー」で乗り切ってください。


      それに僕はちょっと楽しみでもあったのです。

      僕らの年代は、先輩方からは散々「新人類」だの「指示待ち世代」だのと言われたものですが、実際問題僕は典型的な「指示待ち男」でしたので、多分誰か先輩店長の下で「普通の平スタッフ」から出発していたら相当にダメ社員のまま会社生活を送らなくてはならなかったでしょう。

      僕は集団の中にいると、考え過ぎるがあまり何一つ自分から積極的に行動できないダメ男なのです。

      実際研修中の短い間で、既に僕に対する会社の評価は「こいつ使えんなぁ・・」というものであったようで、そういう空気をビシバシと感じた・・・というだけでなく、女子社員同士なんかの間では「あの子アカンなぁ・・」というウワサにもなっていたらしいです(実際にウワサしてた当人から聞いたwwww)。

      そんなわけで、僕は「一人で思い切って好きなように仕事が出来る」という環境にちょっとワクワクもしていました。
      自分の性格上、そういう環境の方が適しているように思っていたのです。

      僕に高松行きを命じた例の専務は「まぁ好きなようにやったらええで。よっぽど外れたことしてたら注意するよってに、それまではお前の好きなようにやったらええ」と言ってくれました。

      人生では幾つか忘れ得ない「感謝するべき助言」がありますが、この専務の言葉は間違いくその中でも3本の指に入るでしょう。

      さあ、そんなこんなであっという間に一週間が経過し、僕は大阪の街を離れて高松へと旅立ちました。

      段ボール二つ分の荷物だけ先に送っておき、僕は身ひとつでJRに乗って移動したのですが、その年はまさに瀬戸大橋が開通した年で、僕はその出来立てホヤホヤの線路で海を渡りました。

      その日は素晴らしく天気が良く、車窓の外には真夏の瀬戸内海がキラキラと光っていました。

      高松駅から高松店まではバスで20〜30分ほどの距離です。
      お店では前任の店長が一週間程度は引継ぎ業務のため残ってくれているそうです。

      僕はカタログに載っていた地図を切り取ってきていましたので、バス亭を降りてからその地図を見ながらお店の場所を探しました。
      しかしなかなかお店が見つかりません。

      しかたがなく、目の前にあったガソリンスタンドで電話を借り、お店まで電話をして場所を聞いてみると
      ほとんど目の前まで来ているようです・・・

      え・・??何処??どこにクシタニショップがあるの??

      はぁ??もしかして・・・これ!!??



      そのお店は歩道橋の影に隠れてヒッソリと建っていました。

      それまで研修のために赴任していた箕面店に比べるとなんというミニサイズなお店なんでしょう!

      恐らく面積的には箕面店の四分の一くらいです。
      (名東店の三分の一くらいかな?)

      恥ずかしながら僕は入社するまで「クシタニショップ」というものにただの一度も入ったことがありませんでしたので、僕のクシタニショップの基準は全てが箕面店だったのですが、後々知ってみれば箕面店は全国的にもかなりの大規模店舗だったようで、全社的に見ればこの高松店のようなこじんまりしたお店がほとんどだったのです。

      「しかし・・・小さいだけでなくなんか古臭いよなぁ・・・」

      壁に掛けられたブリキ製の「クシタニ」と書かれたカタカナの看板は、「ニ」が錆び落ちてどこかへ飛んでしまっていったようで、外から認識できる店名は「クシタ」以外にはありません。
      壁もなんとなくくすんでいます。

      僕はポカーンとその看板を眺めながら、店のドアを押しました。

      前任のK店長とは全くの初対面だったのですが、さっきの電話から僕が新任店長(代理)だとわかったのでしょう。「お疲れさん、疲れたやろ」とにニコヤカに出迎えてくれました。

      K店長は20代後半くらいの爽やかな好青年でした。
      「こんな爽やかな店長がやってても業績は厳しいのか・・」と僕はちょっと不安になりました。

      K店長は「まず二階見てみるか?」と僕を住居スペースまで案内してくれました。
      店の外にある階段を昇り、鍵を開けると中に僕を招き入れます。

      二階は手前の半分が倉庫になっており、そこには今は使われていない什器や販促品などが積まれていました。

      その奥が居住スペースで、簡単なキッチンと、ちゃんとトイレとは別室になったバスルームが備えられています。
      居間は8畳程度はありそうで、テレビも置かれていました。

      「ちょっと散らかってたけど片付けておいたよ。オレも独身の頃はここに住んでたんだけど、最近はただの物置になってたからねぇ」とK店長は、布団の場所とかシャワーの使い方とかを順番に説明してくれます。

      僕の送った荷物はK店長が部屋の中に運んでおいてくれていました。
      「適当に片付けたら店に降りておいで」と言うと店長はトントンと階段を下りて行きます。

      僕はK店長の優しさに感謝しつつ、少ない荷物を片付けるとあらためて部屋の中を見回してみました。

      「ここが今日からオレの城か・・・」

      必要最低限の家具しか置いていない殺風景な部屋ですが、やはり何かがスタートする場所だと思うと何となく新鮮な高揚感のようなものが湧いてきて、僕は大きく深呼吸しました。

      お店に戻ると、K店長から基本的な引継ぎをしてもらいます。
      書類や備品などは何処に何があるか?
      現在受注しているオーダーや修理、お客さんからの依頼品。バックオーダーなどなど。

      引継ぎ業務自体は滞りなく進んだのですが、そのうち僕はなんだかソワソワと落ち着かなくなってきました。

      実のところ、僕がこの店に着いてから3時間あまり、ただの一人のお客さんもやって来ていないのです。

      箕面店ではこんなことはあり得ないことでした。(今の名東店では普通にありますがww)
      僕は恐る恐るK店長に聞いてみました。

      「あの・・・今日は何か特別な事情でもあるんでしょうか?」

      「ん?」
      僕の質問の意図を図りかねている店長は首をかしげて僕を見ます。

      「えと・・、さっきから一人もお客さんが・・・」

      それでも首をかしげていた店長は、ようやく僕の疑問に気が付いて「あぁ・・・」と息を漏らしました。

      そして「フジモリ君はどこで研修を受けていたの?」と聞いてきました。

      「箕面店です」と僕が応えるとK店長は「へぇ・・そうか」と笑いとも溜め息ともつかない息とともに、「ウチはいっつもこんなんや」と自嘲気味に言葉を吐き出しました。
      その時のK店長の表情は、さっきまでの爽やかさは若干息を潜め、暗い翳のようなものが差していました。

      僕は自分の不用意さを恥じました。

      K店長だって忸怩たる思いを抱いてるに違いありません。
      どんな規模の店舗だって店長は自分の店に愛着があるに決まってます。
      そこを志半ばで去らなければいけないところへ、世間知らずの若造からこんな不躾な質問をぶつけられたのです。

      しかしK店長はことさら明るい口調で「ま、これ以上は落ちようないからさ。フジモリ君も頑張ってや」と僕の肩を叩きました。

      結局その日は、その後たった一人だけやってきたお客さんがサマーグローブを一艘買って行かれたのが売上の全てでした。


      閉店後、K店長は近所の食事が出来そうなお店を幾つか僕に教えると自宅へと帰っていきました。

      僕は歩道橋を渡った向かいにある小さな喫茶店の定食で食事を済ませると、店の二階の新しい我が家へと帰りました。

      お店が建っている場所は、大きな国道のバイパス沿いだったのですが、周囲には店舗らしい店舗はほとんどなく、ポツポツと建っている人家以外はほとんどが田畑で、それこそ夜は真っ暗になりました。

      そのくせバイパスの交通量はかなり多く、部屋の中であらためて一人で寝転がっていると、窓の向こうからひっきりなしに車のエンジン音や通行音が聞こえてきました。

      友人も、会社の同僚も、知っている人が一人もいない土地。
      全く土地勘もなければ、これまで縁もゆかりも無かった(どこにあるのかすら知らなかった)この高松という街。
      郊外の閑散とした大通り沿いの、歩道橋の翳にヒッソリと建つ、平日にはほとんど買い物も来ない小さな店舗。

      目を閉じて外からの車の音に身を任せていると、誰からも忘れ去られた宇宙の片隅でも漂っているような気分になってきました。

      その晩は結構疲れていたはずなのですが、僕にしては珍しくほとんど寝付かれずに朝を向かえました。

      外を走るトラックの音は、一晩中途切れることがありませんでした。


      今回はここまでです。
      で、この話まだ結構長く続くのですが、まだ読みたいですか?
      え?読みたい??
      それじゃあ分かってますよねwwww

      ポチッとひとつ・・


      うどんの国の青春編 その1:KUSHITANI名東店

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        昔ァもうフランチャイズ店のオーナーなんてぇいったらもう大層威厳あったもんでぇございます。

        会議の席なんかでも、やってくるのは直営の店長なんかよりもちょっと遅めでね。
        「やあやあ遅くなりまして」なんて口では言いながらも、全く悪びれる様子もなくどーんと席に着きますってぇと、ピーンとこう空気が締まった感じなんかがいたしましてね。
        私も若い時分には随分と緊張したもんです。

        夜の宴席では、オーナーさんの席に私ら新人がお酌に回りますってぇと、「お、お前のグラスはどうした?」なんていっていちいち飲まされるもんだから、もう会場を一周するころには足腰も立たないくらいにヘベレケに酔っ払っちまいまして、たまらずトイレに駆け込んでゲーゲー吐いておりますってぇと、隣の個室でも同じようにゲーゲーやってんのがおりまして、これが同期入社の新人ですよ。

        二人で真っ青な顔して意気消沈しておりますと、オーナーのご機嫌伺いが使命かのように右往左往してる腰巾着みたいな上司がやってまいりまして、「お前ら何やってんだ。さっさと席に戻ってオーナーさんたちにまたお酌してまわらんか」なんて首根っこ捕まれて引き戻されるわけです。

        私らは二人で洗面所でうがいしながら「堪らんなァ」なんて溜め息ついたもんでございます。


        それがどうですか。

        自分がオーナーになってみれば、これがまた扱いが存外軽いこと。

        展示会なんかに顔出しましても「ああどうも」なんつって和やかなもんですよ。
        逆に私の方が「皆さん缶コーヒーでも買いに行きましょうか?え?○○さんはブラック?△△さんは微糖でね。へい承知しやした」なんて尻ぃからげて使い走ったりなんかして、これじゃあどっちが来賓か分かりゃしません。

        まあ会社の若い衆の間じゃあ、私ゃ嫌がる女子社員を追い掛け回して写真撮ったりしてるストーカーオヤジ程度にしか写っておりませんようで、まあそこんところは当らずも遠からずってところで・・ヘヘ、お恥ずかしい限りなんでございますが、まあどちらにしても若い連中に対してどーも威厳がなくっていけませんや。

        お前さん達そーやってね。アタシを軽く見るけどワタシはワタシで若い頃それなりに苦労してんのを知らねぇのかい?

        ああそうかい?知らない?

        そんじゃあちょっくら語ってみようかね?

        言っとくがアタシは話が長いよ。そこんとこよ〜〜く覚悟しておくんなさいよ。


        てなわけでお話は24年前に遡ります。

        まあこの時期ネタがないので、こんな昔話にお付き合いくだされ。

        24年前ですよ。1988年のことです。
        その年に僕は株式会社クシタニに入社しました。

        言っておきますが、僕は大学に貼ってあった求人票を見て、ちゃーんと入社試験というのを受けて入社しております。
        それ以前(またはそれ以後)のスタッフが割りと「常連からいつの間にか・・」みたいな曖昧な境目で社員になっているのに比べれば、かなりちゃんとした手順を踏んで入社しているわけです。

        その頃は、いわゆる「バイクブーム」というのはもうピークを幾分か過ぎ多少翳りも見え始めた時分ではありましたが、今日的な目線で見ればまだ充分ブームの渦中にあったと言っても間違いはないでしょう。
        世の中もまさにバブル前夜でありましたし、我がクシタニも東京・浜松・大阪の社員数を合わせれば総勢200名近い大所帯になっていました。

        そんな渦中に入社した僕は、まずは大阪本社で様々な研修を受けたわけですが、研修中のことはまあ割愛しましょう。
        その間も「世間知らずの若造」のやることにしても目を覆わんばかりの失敗を多々するわけですが、そのオハナシはまた機会があれば。

        通常新人の研修というのは3ヶ月で大体一区切りつくものです。

        僕も本社勤務の間に、出荷業務や内勤での事務処理、本社ビルの一階にありました当時の箕面店などで一通りの研修を受けていたわけですが、7月に入ったばかりのある朝、社長室に同期入社のSクンとともに呼ばれました。

        それはまさに「突如」とも言うべきタイミングでした。
        内示も何も全く受けていなかったですから。

        社長室のソファーで目の前に座っている専務はニコニコと笑って「配属が決定しました」とまるでその日の昼飯のメニューを発表するかのように何気ない口調で言いました。


        「藤森クンは高松店に行ってもらいます」

        タカマツ?タカマツって何処だっけ?

        ああ・・四国か。四国ね。

        し・・・四国・・・え??四国??

        でも高松店ってフランチャイズ店じゃなかったっけ?
        メーカーの社員が、別にオーナーさんのいるフランチャイズ店のスタッフになるということは通常あり得ません。

        僕のその疑問を読んでいたかのように専務が続けます。

        「あんな。あそこの店のオーナーさんは高松店の他に幾つかクシタニショップ経営してはんねんけどな。高松店の売上げが芳しくないので手放さはんねん。でも四国には他にクシタニショップないやろ?閉店するわけにいかへんやん。そんで本社の方でその後の面倒は見ましょう、誰か本社から人やりましょうってことになったわけやな」

        「って・・・ことは・・直営店になるってことですか?」

        「そう。そういうわけ」

        「え・・・と・・あのー??で、店長は誰が・・??」

        「君や」

        はぁ!??
        僕まだ入社して3ヶ月ですよ。
        しかも僕は当初内勤希望だったので、お店での研修なんてまだ一ヶ月も受けていません。

        接客の「せ」の字も知らなければ商品知識だって相当怪しい。
        それにオーダーや複雑な修理のための知識や採寸技術もまだちゃんと習っていません。
        店長ともなれば経理的な知識も必要になってくるでしょう。

        「大丈夫や!やってればなんとかなるって!!」

        な・・何を根拠に言ってるんだこのヒトは!??

        「えーーーっと・・で?いつから勤務すれば」

        出来れば明後日や・・まあ準備の都合で2〜3日延びてもええけどな」と専務はまたニコニコ。
        ウチの会社は一事が万事この調子です。

        そして「大丈夫!お店の二階が住居になってるからそこに住んだらええやん。家賃はいらんで。布団とかその他家財道具は一通りそろってるから」と続けました。

        突然のことに全くワケが分からず釈然としない表情の僕に専務が畳み掛けるようにこう言います。

        「あんな。キミしかいないんや!」

        どんな世間知らずの新人でも、こう言われればなんとなく奮い立ちます。
        「そうか。オレしかいないのか・・そこまで言われるなら・・・」とかその気になりかけたところで(←バカですねwww)専務は「後の詳しい段取りはYクン(当時の箕面店店長)と相談して」と話を切り上げました。

        そうやって社長室を辞したところで、その当のY店長がオフィスへ上がってきます。
        それを見つけた専務は「ああY君、いいところに来た。藤森クンは高松店に行ってもらうことになったから」と告げます。

        え??何??まだY店長にも知らされてなかったの?? 僕は驚きました。

        しかしもっと驚いたのはY店長です。
        日々僕を指導する中で、僕がまだいかにショップスタッフとしては半人前以下なのか?ってことを一番よく知っています。

        顔色をサッと変えたY店長は「専務・・あの・・・ちょっとお話が・・」と専務を捕まえると、二人で社長室に籠もって長い間出てきませんでした。

        多分Y店長は専務に「ちょwwwあいつに一店舗任すなんて無理ですって!!あいつまだ何にも知りませんよ!」とか忠告してるんでしょう。
        (何年後かに聞いてみたら本当にその通りでしたwwww)

        どうやら僕の高松行きは社長と専務だけの専制人事だったようです。

        この専務は僕が地方を転々としている間に退職してしまわれましたので、今もってナゼそんな無茶な人事を敢行したのか謎のままです。

        しかしまぁ沖田浩之の歌じゃありませんがウワサは光の速さよりも早いものです。

        その日から色々な先輩から内線電話がかかってきました。

        「聞いたで。藤森クン・・・高松行くんやって?・・・そうか・・・ゴメンな・・その話オレのところにもきたんやけどな、オレ断ってん。そんでキミんところにお鉢が回ったんやろうな。堪忍してや」

        2〜3人の先輩からそんな電話を貰ったと思います。

        そうか。

        専務が「キミしかいない」って言った意味は、「出来るのがキミしかいない」という「選ばれたキミ『しか』」ではなく、皆に断られて最後どうしようもなく回ってきた「残されたキミ『しか』」だったのか・・・

        そのことに気がついたのは高松行きを翌日に控えた午後なのでありました。
        24年前。奇しくも僕が24歳になろうとしていた頃のお話です。




        さて、続きは僕の気力と皆さんの反響で書きたいと思います。

        続きが読みたい・・・って方はぜひ「いいね!」をポチッとひとつ・・・ww



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